
物語第12巻28章の「三柱の貴子」とは、言うまでもなく伊邪那岐命が筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐ヶ原に於いて禊身し玉う時に、左の目からは天照大御神、右の目からは月読命、鼻からは建速須佐之男命が生まれられた事を指している。
『古事記』に曰く「この時伊邪那岐命、大いに歓喜まして『吾は子を生み生みて、生みの終に三柱の貴子得たり』と詔りたまいて、即ちその御頸珠の玉の緒、母由良に取りゆらかして、天照大御神に賜いて詔りたまわく『汝が命は高天原を知らせ』と事依さし玉う。故其の御頸珠の名を御倉板挙之神と謂う。云々。
ここで御倉板挙の神の意味を調べてみると、本居宣長は『古事記伝』にて「御祖神の賜いし重き御宝として天照大神の御倉に蔵め、その棚の上に安置奉りて崇き祭りたまいし名なるべし」と言い、板挙とは「板を高く架挙て物置く所に構うる故に如此書けるならむ」とも説いている。
これに対して『霊界物語』では、この御倉板挙の神ということは、言霊学上から見ても神様の方で申されまする暦…この世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦の3つの暦が、常に運行循環しているのであります。で、この御頸珠をお授けになったというのは、いわゆる御倉板挙の神、すなわち恒天暦、太陽暦、太陰暦をお授けになったのであります。
ここの処を大正7年の『神霊界』「国教樹立に就いて」の中では、御倉板挙の神と申すは、父神の御頸の珠の御名である。「タナ」は天文の義、又は暦数義を指すのである。「タナハタ」は天体運行の機織の義である。「タナバタヒメ」という女神の御名は、天文暦数を掌る女神の意義である。「ミクラ」とは三座の義である。「ミクラタナ」は即ち三座の天文暦数の義である。恒天暦、太陽暦、太陰暦の三大暦儀こそ、全くこれが「みくらたな神」である。
何とも長々とした導入部となってしまったが、私は「恒天暦」とは如何なる物か? それを知りたくて知りたくて、書店の辞典や天文・暦コーナーで立ち読みしたり、手持ちの神道辞典・古神道・陰陽道の本、高島易断の神道暦等を片っ端から当たってみたが全然手応えなし!
どうも恒天暦という概念が存在しないらしい! 山で道に迷った時には、出発点に戻れとの鉄則がある…最初にこの活字を目にしたのは『霊界物語』…答えは、物語かその関連著書の中にある筈!
『三鏡』と『新月の光』の中に漸くその答えを見つけたので、次にそのままを掲げることとする。
◎10ヶ月暦(三鏡)
まず1ヶ月を35日と定める。これを週に割り当てると5週となる。これで曜日は永遠に確定するわけである。神の道から言うと、三五、すなわち、あなない教に因縁をもつ。
三五教は天地惟神の大道である。36日目は、ミロクの教えであるから、この日は週に加えず祭日とする。隔月に37日目をもつわけであるが、その日は閑日と称して言論自由の日とする。あたかも霊界物語中にある「笑いの座」のごとく、その日はいかなる人がいかなる言論をするとも自由であって、何らの制裁を受けないことにする。
4年ごとに1日の閏日をもつが、それは1年の終わりに加えることにする。そして節分の翌日、すなわち立春の日を1月元旦とするのである。
祭日は、1月を第1祭日、2月を第2祭日というがごとく順次称うる。閑日も第1閑日、第2閑日と順に称うるのである。
10ヶ月にわけるのは、十は数の上においても、形の上においても、神の象徴であり、緯度と経度の関係から見ても十字形である。キリスト教は十字架、仏教は卍であって、十字にみな因縁をもっている。
◎三種の神器(新月の光)
竹内家の三種の神器については、それは氏氏で昔はもっていたのであって、皇位継承のものではない。もしそんな事になれば、歴代の陛下は虚器を擁していられたことになる。国体に関係するからいかぬ。
三種の神器を器物にうつし給うたのは、古文書にある通り崇神天皇の時である。
本来三種の神器の鏡は言霊である。昔は、伊勢に天津金木をお祭りしてあったのである。言霊によって一切のことが判るからである。ピカピカ光る鏡にしたのは後からである。
剣とは日本国で、玉とは恒天暦、太陽暦、太陰暦のことである。宇宙の大権を天津神がおさずけになったのである。
以上よりして、恒天暦なるものは、少なくとも顕・幽・神三界の顕界においては未だ採用、実行された事実はなく、みろくの神代が顕現した暁に初めて実用されるべく用意されているものと定義づけることが出来るであろう。